vol.1

丸尾 孝俊様に会うまでは、数千億の資産家と聞く限り、
私の想像では年代高い方だと思っていたのですが、なんと同い年。急に親近感。

ビックリたまげてしまった。同じ時代に生まれ育ち、この差はなんなんだろうと。
私は、フワフワと過ごしていた時に、この方は、ジャングルで人と商談していたのか?と。

同年とは全く思えない、豪快さと面白さと、迫力とオーラ。
人なつこさと、そして、ガッツリの関西弁。

本当に、いろんな事を教えてくださった。
私としては、頭から湯気が出るくらいの興奮がずっと冷めず滞在中ずっと眠れないでいた。
それも一人じめ状態。

こんな私にも何か出来るかもしれないと。
話を聞いていると、いつもあっという間に明け方になっていた。
でも元気いっぱいだった。

日本の中で日本を見るだけの自分ではなく、
世界から日本を見て日本という国をもっと知っていくべきだと、
私の心の奥底にあるスイッチが入った。

私の祖父がインドネシアで戦死していることもあり、
きっと結びつけてくれたのだと思った。

それまで私は、24カ国 31都市の世界を見てきた。
インドネシア、バリ島を訪問することがなかったが、この国は大変面白い!
何でも出来ると変な自信がつき、
それから今日至るまでずっと通い続けている。
その後、丸尾氏のビラにはお客様と3度ほど訪問させていただき、宿泊させていただいた。

・・・

丸尾氏に祖父の事を話したら、俺が何かに悩んだり、考えたり、
一人になりたい時に行く所あるから、特別に教えたるというので、
ある墓地にドライバーさんを付けてくれた。

それは知る人ぞ知る、バルガラナという墓地だった。

第二次世界大戦の時にインドネシアと日本が戦争し、
敗戦後、日本に帰国できなかった日本人が、次のオランダとの戦争で
インドネシア人となって戦争に行った。

そこは、その戦争で亡くなった方々への慰霊を込めて、
インドネシア人が日本のために作ってくれたような場所。

いつ行ってもそれはそれは美しく整備されている。
丸尾氏のおっしゃるように心が綺麗になれる場所だった。

私はその後も、この場所に祖父はいないとしても、
お参りに行かせていただこうと思って何度も訪れている。

その場所にいらっしゃる日本人のご家族は、
きっとそこにいらっしゃる事をご存知なくて、
時代が時代だっただけに、ほとんど日本人も行かれていない。
そのため、私が一年に何度かでも、
日本からの代表で行かせてもらっても良いだろうと思っています。

この場所に行ってみられたい方がいらっしゃったら、またご案内しますね。
バリ島のングライ空港から、車で2時間くらいの場所にあります。

墓地の門前に、芳名帳がありますので、サインしてください。
そして、お掃除やら維持費のためのチップをお支払いください。

続く